フイリピンの英語留学・ゴルフ・慰霊の旅

フイリピンで英語留学・ゴルフ・慰霊などでセブ・バギオ・ダバオなどに滞在した時の記録です
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ベンゲット道の落合工兵中隊の戦い No.3

 3月25日
 
 アメリカ兵約30名がが洞窟陣地の近くまでやって来た。新井砲兵隊の持っている92式重機関銃が掃射し、アメリカ軍は自動小銃で撃ちあった。白兵戦になれば全滅する。しかし、アメリカ軍兵の足音は急速に遠ざかった。
アメリカ軍は午後4時半を過ぎると戦闘をやめて帰っていくのであった。

 夜になって落合隊の本隊である工兵第23連隊の主力がキャンプ3の西方の山の上に出てきた。このため落合隊は本隊に復帰することになった。

 これが落合隊を死の危機から救った。落合隊はキャンプ4の岩穴の陣地に入った。

 キャンプ4の岩穴の中では、落合中隊の生き残りの20名ばかりが、病苦に耐え負傷の苦痛と戦っていた。しかし、それ以上に耐え難かったのは空腹であった。

 4月11日 

ナギリアン道を進んだアメリカ軍が総攻撃を開始した。この方面からバギオに突入する計画だから、戦車、火砲を揃え、航空部隊が参加する大規模な作戦であった。


 4月16日 
 水野工兵連隊長が突然の撤退をした時から、ベンゲット道の日本軍が崩れた。水野連隊長はあわただしくバギオ方面に去った。

 4月18日
 
 歩第71連隊の林連隊長は撤退した。夕方になるのを待って第一大隊の本部と第一中隊は陣地を撤収してキャンプ4に向かった。

 4月24日 

 小川大隊長より命令が示達してあった。
「落合中隊はキャンプ4からバギオに至るベンゲット道の橋梁を全部爆破したる後、アンタモックを経由、アンブクラオに集結すべし。」
 アンブクラオは山下道の中間にある小さな村である。

 アメリカ軍は4月26日から27日にかけてバギオ市の要所を抑え事実上占領した。ベンゲット道からバギオに入るのが困難と見た時、早急に進撃の重点をナギリアン道方面に置き換えた。

 5月3日
 
 落合中隊長以下約10名が幾つかの山を超えて山下道に達した。しばらく行くと道路脇に工兵連隊本部の将兵が出迎えに来ていた。水野連隊長も来ていた。落合中隊長は撤退の経過を報告した。

 フィリピンの日本軍の戦死者の数はおびただしい。厚生省の計算では、約47万6千名である。
フィリピン全域で戦闘に参加した日本の陸海軍の人員は約64万人である。最も戦死者の多かったのはルソン島とその近海であリ、その数は約30万名でレイテ島での陸上死は約8万名であった。

ルソン戦記より。

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リタイアしてから、フイリピンで英語留学、ゴルフ、観光旅行などしながら長期、短期滞在をしてきました。
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