フイリピンの英語留学・ゴルフ・慰霊の旅

フイリピンで英語留学・ゴルフ・慰霊などでセブ・バギオ・ダバオなどに滞在した時の記録です
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リンガエン湾の歩兵第71連隊の布陣

 2006年2月10日に私たちは、サンファビアンの慰霊碑の前で慰霊祭を行ったのですが、その記事は後で書きます。

 その前に私は、そのパンガシナン州で行われた戦闘がどのように展開され結果はどうなったか知らなかったので後日、日本に帰った時に調べたことを基にして概略をここに述べてみたいと思います。
 
 昭和20年1月9日、リンガエン湾に米軍6万人余が上陸しました。それに対する日本軍は、第23師団(通称:旭兵団)と独立混成第58旅団(通称:盟兵団)が防御の布陣を布いていました。その布陣にしてもマニラから部隊を呼び集めたりして混乱の中で十分ではありませんでした。米軍の来襲が予想より速かったためです。

 第23師団の鹿児島歩兵第71連隊は、連隊本部と第1大隊がマニラ街道の東のビナロナン東北488高地に布陣し、第3大隊(大隊長:畠中少佐)550名がサンファビアンに近い場所に布陣、第2大隊(大隊長:大盛大尉)940名は、それより南のカバルアン丘に布陣しました。

 第14方面軍、山下司令官は、本部をバギオに置いていました。そして初めは持久戦のつもりでしたが作戦の混乱により司令官は命令を変更して1月18日夜に第3大隊に夜襲切り込みを命じたのでした。


 img330_convert_20120107174152.jpg
  リンガエン湾付近歩兵第71連隊布陣
図中、Ⅰ/71i=71連隊第1大隊。Ⅱ/71i=71連隊第二大隊。Ⅲ/71i=71連隊第3大隊。72i=72連隊。
   64i=64連隊。


フィリピン全土地図  (ルソン島北部の
バギオを中心にして拡大して見て下さい。


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