フイリピンの英語留学・ゴルフ・慰霊の旅

フイリピンで英語留学・ゴルフ・慰霊などでセブ・バギオ・ダバオなどに滞在した時の記録です
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ベンゲット(ケノン)道戦記:落合工兵中隊の戦い

 旭・第23師団は488高地、カウリンガン山で戦闘を続けた。隷下の歩兵第71連隊は畠中大隊の切り込み、カバルアン丘の大盛大隊が全滅したあと、残る第一大隊も500名を488高地で失った。

 盟兵団、歩64連隊も歩71連隊と同じような打撃を受けた。
2月18日、旭兵団は488高地から撤退し、その東北方のベンゲット(ケノン)道に陣地を移し、アメリカ軍のバギオ進攻を阻止しようとした。落合中尉所属の工兵23連隊もこれにともなって後退し、バギオ郊外のロアカンに集結した。

 この頃、日本軍各部隊の食料と弾薬の不足は益々深刻の度を加えてきた。3月11日、工兵連隊本部の副官、網屋太尉に「キャンプ3」の増援部隊として行ってくれと言われる。
 
 ベンゲット道を下って行くと、前方に橋が見えた。プエド川とベンゲット道の交差している所である。
連隊本部に出頭したら前夜二木連隊長と交代した林安男大佐に会った。

 自慢の演説がやたら長くて太っている問題の人物だった。キャンプ3の橋の後方(バギオ寄り)で師団参謀の井上至文中佐と陣地を探し、大きな岩石の壕と道路の下の川岸の暗渠に陣地を決めた。

 そして井上参謀が師団長の意図を代わって伝えた。
「落合中隊長は、現任務を誇りとして、現位置を死守し、ベンゲット道の花と散れ」

 落合中隊長も割り切れない思いだった。ベンゲット道が重要なことはわかっている。山下方面軍司令部があるバギオへの関門である。

 それ故にアメリカ軍もここに攻撃の重点を置くはずである。それに対しわずか、一握りの工兵と砲兵を配置するだけで良いのか。重要な十五榴弾砲を道路上に置くような無謀な使い方を何故するのか。

 このころの日本軍の全部がそのようにして動かされていた。特に軍の中枢は、中佐、少佐の若手参謀の独断専行で動かされた、といってもよかった。

 士官学校の教育でも要領よく戦い最小の損害で最大の戦果を収めることを基本として教えた。

 ところがフィリピンでの捷一号作戦の頃には、大本営も前線の指揮官や参謀も、最初から将兵を死なせる事を考えて作戦を計画した。

 カバルアン丘で大盛大隊を全滅させたのも、サンファビアンで畠中大隊に斬り込みをさせたのもそれである。

 吉田一等兵も身をもって逃れた金沢大隊の全滅をはじめ、盟兵団各大隊の壊滅もそのためである。ことに、大盛大隊長に対し、直接に死守を要求したのは、当の井上参謀である。

 これは、惨敗続きの日本の軍部の、絶望と狂気のための作戦であろう。

「ルソン戦記」ベンゲット道。高木俊朗著より。


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     キャンプ3陣地配置図:歩兵第71連隊史



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  バギオーベンゲット道要図(ルソン戦記・高木俊朗著)



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